九.第四ラウンドの終了
九月に入った。
六月の中旬からスタートした第四ラウンドは、それぞれの塾の「秘密兵器」の攻防だったが、“天下一個別”の怒涛の攻撃を“個勉塾”が何とかしのいだ形で終わった。
この戦いでは、“天下一個別”はアルバイト講師の目の前にニンジン(担当生徒から紹介が出た場合のインセンティブ)をぶら下げ、紹介獲得施策に打って出て、“個勉塾”から多くの転塾者を獲得するという参謀・キーツネの戦略だったのだが、実際にはその思惑通りにはならなかったのだ。
それも、そのはず。個別指導の神様・タヌーキのアドバイスで、“個勉塾”は汎用名簿を活用し、生徒一人ひとりに確実に対応するといった教室運営の基本中の基本を徹底する施策で応戦したことが功を奏したからだ。
■場面は“天下一個別”の本社ビル内。
「くっそー!もう少しで個勉塾をひねりつぶせたのに、何なんだ、あの粘り腰は!」
「塩川営業本部長、どうかされましたか?また何かあったんですか?」
塩川の部下、霧島が話しかけてきた。
「おお、霧島君か。どうしたも、こうしたもないんだ。あの“個勉塾”が…。」
「まさか、またあの塾にしてやられたというわけですか?」
「う~ん、してやられたと言うか、何と言うか、なかなか我々の思い通りに事が進まないんだ。…ん?」
「えっ?どうかされました?」
「どうかされましたかじゃないだろう!君は私の部下だろう!君も今の状況は分かっているはずだ!何を他人事のように聞いているんだ!この役立たずが!」
「あっ、すみません!」
「キミたち、うるさいんだよな~。」
「あっ、キーツネさん、来られていたのですか。失礼しました。」
「何を騒いでいるんだ?」
「あっ、はい。“個勉塾”との戦いで、私が必死になっているのに、この霧島がポンコツでして…。」
「まあ、ポンコツ具合は塩川君も同じようなものだろう。アハハ。」
「まあ、そうですね。アハハハハ。」
「だから、キミは無暗に笑うなと言ってるだろ!それに君が笑うところじゃない。」
「あっ、すみません。」
「で、今、どのような状況なんだ。もう八月も終わったんだから、キミが言っていた七十名の生徒数は達成したのか?」
「いえ、それが…。」
「何だって?」
キーツネは眼鏡越しに見える鋭い眼光を塩川に向けた。
「そ、そ、それが…生徒数は五十名は超えたのですが…。」
「なに?五十名だって?」
「はい、正確に言うと、五十一名です。まあ、予定の七十名には達しませんでしたが、四月末生徒数から見ると二十二名の純増ですから、それなりの格好はついた感じでは終了してはいるのですが…。」
「五十名ごときで、格好がついたなんて、レベルの低いことを言うな!」
「はい、すみません。」
「“天下一個別”が夏を超えて、五十名なんて、本当に情けない結果だ。」
「すみません。でも、この夏、“個勉塾”もそれほど生徒数を伸ばしていないようなので、まあ、我々が負けたわけでは…。」
「君のそういう発言にはうんざりだ。なあ、そこの霧島君とやら。」
「はい、その通りでございます!」
「霧島!!!お前が言うな!!!」
塩川は霧島の頭を殴っていた。
「あっ、申し訳ございません。」
「二人ともシャラップだ!」
「あっ。はい!」
「いいか、五十名なんて“天下一個別”の恥だ。いや、この天下のキーツネ様の汚点だ。あの忌々しい“個勉塾”の生徒数があまり増えていなくても、この生徒数じゃ我々の負けに等しい。そのことを深く反省しろ!」
「はい、すみません!」
「で、問題はこれからだ。“個勉塾”の夏期講習の状況は把握しているのか?」
「あっ、はい。そのへんは調査済みであります。」
「まず、それを聞かせてくれ。その上で、新たな戦略を立てる。」
「はい。」
■場面は変わって、“からくり屋珈琲店”。
我利勉はタヌーキとパフェを食べながら話をしていた。
「なるほど。生徒数はたいして伸びんかったけど、退塾は一応止まってるちゅうことやな。」
「はい。」
「それやったら、まあ良しとせな。」
「そうですね。ただ、“天下一個別”は確実に生徒数を伸ばしてきてるようで。」
「ん?どれくらいや?」
「はっきりした数字は分かりませんけど、私の見立てでは五十名くらいはいるんじゃないかと思うんです。」
「ふ~ん…五十名ね。」
「ちょっとヤバくないですか?」
「さあ、どうやろな。でも、これだけは言えるわ。」
「はい、何でしょう?」
「恐らくキーツネは怒ってるで。」
「えっ?何で怒っているんですか?私、何かやらかしました?」
「ジブンは関係ない。ジブンみたいな小物、あいつが相手にするわけないやん。」
「じゃあ、何に怒ってるんですか?」
「それはな、キーツネが戦略を立てているのに、五十名くらいしか集まってへんちゅうことに怒り心頭ちゅうことや。あいつ、プライド高いから、そういうの許せへんねん。」
「プライドですか…。」
「そうや。元々、あいつはケツの穴が小っちい奴やねん。だから、わし、昔、“小穴のキーケツ”ってあだ名をつけたったことあんねん。アハハハ。」
「なるほど。お尻の穴が小さい神様なんですね。」
「何やねん、それ。ジブンの言い方、生々しいやん。お尻の穴って。うひゃひゃ。」
「あっ、すみません。ちょっと、恥ずかしいです…。」
「まあ、ええわ。で、夏期講習が終わったけど、どうやったんや?」
「う~ん…まあまあだとは思うんですけど…。」
「何か歯切れが悪いやん。」
「自分でもよく分からないんですけど、上手くいった部分もありますし、そうでない部分もありますし…。」
「具体的には?」
「授業はまあまあだったのですが、テストゼミ夏の陣がイマイチな感じで。」
「イマイチって何がやねん。だいたい、ジブン、いつも返答が具体的やのうて、曖昧やからイライラするわ。」
「あっ、すみません…。テストゼミ夏の陣って、全部で十六日間あって、テストで合格するまで帰れないっていうやつなんですけど…。」
「おお、それで?」
「実はもう九月に入っているんですけど、終わってない生徒が何人もいまして…。」
「はあ~?それ、ショボショボやん。」
「はい、ショボショボなんです。お恥ずかしい限りで。」
「ほんま、ジブン、詰めが甘すぎるで。せっかく退塾防止を頑張ってきても、そんなことしてたら意味ないやん。」
「はい、すみません。」
「まあでも、終わったもんはしゃーないけど、これからがヤバいで。」
「えっ?やっぱりヤバいですか?」
「そりゃ、そうやろ。中三生がそんな状態で、教室の雰囲気が良いわけないやん。」
「そうですか…。」
「あんな、夏期講習で勢いつけらへんかったら、九月以降で退塾が出たり、問い合わせが無かったりするんや。つまりは、踏んだり蹴ったり、叩いたり殴ったり、唾を吐いたり、鼻くそほじったりになるちゅうことや。」
「踏んだり蹴ったりは分かるんですが、その後は余計なのでは?」
「何が余計やねん。いちいち、わしの癇に障るわ~。」
「すみません。とにかく、タヌーキさんは夏期講習の良し悪しが九月以降の業績に響くということが言いたいわけですね。」
「おおそうや。」
■再び、“天下一個別”の本社ビル内。
「なるほど。“個勉塾”の夏期講習がそういう状態で終わったのなら、それは我々にとってはビッグチャンスだ。」
「えっ?どういうことですか?」
「キミは本当に頭が悪すぎる。ちょっと病院に行った方がいいんじゃないか?」
「いや~、キーツネさん、冗談キツいっすね。なあ、霧島!アハハハ。」
「だから、笑うなって言ってるだろ!」
「あっ、すみません。」
「アハハハ。」
「霧島!!!何でお前がここで笑うんだ!」
「あっ、塩川営業本部長、申し訳ございません。」
「お前は本当にムカつく。」
「もういい。お前たちと話をしていると、本当にミーまでおかしくなりそうだ。」
「すみません。それで、ビッグチャンスの件ですが…。」
「ああそうだった。我々にとってのビッグチャンス。つまり、向こうの教室の雰囲気が悪くなれば、こちらに追い風が吹くということだ。」
「あっ、はい。」
「たかが、夏期講習。されど、夏期講習。その不達成感は生徒のモチベーションに影響する。つまり、塾に対する不満が高まり、教室の空気が悪くなるということだ。良い雰囲気じゃない教室には生徒は集まらない。そして、それは保護者の不満にもつながる。自分の子どもが勉強を頑張っていないことが感じられ、塾に対して“不信感”が生まれるんだ。」
「なるほど。そんな恐ろしいことになるんですね。」
「そうだ。向こうは、夏期講習前に一人ひとりの生徒に対する対応を強化して、退塾を出さなかったようだが、それも一時しのぎに過ぎない。その防波堤もこの九月についに崩れることになるだろう。ふふふ。」
「つまり、これからジャンジャン退塾が出ると?」
「まあ、それは分からない。ただ、仮に退塾がそれほど出なくても、問い合わせや入塾者は絶対に減るはずだ。」
「う~ん、それは確かにビッグチャンスですね。じゃあ、またまた転塾キャンペーンのチラシを打ちましょうか?」
「いや、待て。もう少し奴らの状況を分析してからだ。」
※明日に続く
オーラのないマッチメーカーこと、株式会社WiShipの岡田がお送りしました。